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プラチナ(白金)の歴史

ファラオは、これを装身具として古代エジプト第18王朝時代に使っていました。
現在、現存している白金製品の中では、最も古いものはルーブル美術館の中にあるテーベの小箱というものです。
これは、エジプトのテーベで女性神官のシェペヌペットの墓から出土をしてきたものです。

年代として、紀元前720年から紀元前659年ごろのものであるのではないかと考えられています。
10世紀ごろになった時代には、南米の中でも装身具として使われていました。純度80%以上のものであったのですが、これはつまり当時から高度な精錬の技術があったということを意味しています。ですが、合金状になっていたとしても、融点まで加熱をするのは、当時の技術ではできないことだと思われていたのです。しかし、これは貴金属であるために、酸素では酸化されないという性質を持っています。そこで、粉末状や粒状のものを使うことで、粉末冶金として成型を行なっていたのではないかと考えられています。
南米は、スペイン人によって侵略が行なわれました。そのとき、ヨーロッパにおいては銀が多く使われているという時代でした。そこで、銀と勘違いされてしまうことによって、多くのものが略奪されてしまうという事態が起こったのです。そこで持ち去られた白金は、実際には銀よりも融点が高い物質であるために、銀を加工するための設備ではこれを溶かすことができなかったのです。なので、それを理由にして多くのものがここで廃棄されてしまうことになりました。
スペインの軍人であり探検家であり、天文学者でもあるアントニョ・デ・ウリョーアは、フランス化学アカデミーによって子午線弧長が測量されるというときに、隊の一員としてペルーに渡りました。その際、ホルヘ・フワンなどが同行しています。南米には、彼は1736年から1744年まで滞在していたとされています。このとき、コロンビアのピント川の河畔で、銀と非常に似ているという白い金属を見つけることになるのです。本国に帰国をしてからは、彼はフワンと共著で「南米諸王国紀行」を出版しています。その本の中で、白金鉱石についても記述が行なわれました。それによって、白金の発見が改めて行なわれるようになったのです。
元素名のplatinumというのは、スペイン人によって呼ばれた言葉である、「ピント川の小さな銀 (platina del Pinto)」に由来していると言われています。
白金は、これまで人類が発掘した総量でも、約4000トンであるといわれています。堆積としては約200m3(一辺が約6メートルの立方体)ほどです。つまり、それだけの貴重な金属であるということなのですね。そのため、入手が困難なものに関して、現在でも「プラチナチケット」のように例えられることもあります。

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